CityScape

映画レビューとか日常とか

Mr.PAiN-ミスター•ペイン-

0.2019/12/24

 2019年。ここ最近のアメリカ合衆国は内戦に明け暮れていた。一体どこの誰かが始めたのかわからないが、国内のどこかで起こった小さなソレがだんだんと全土に広がっていき、気づけばテレビやラジオ、さらにネットのニュースは内戦についてのニュースで溢れかえっていた。崩れ去っていく日常。こんな時に政府は何をしているんだという怒りの声。すべてが混沌としていた。そんな状況のせいか、アメリカ国民の中には次々と鬱やパニックなど、精神的な症状を訴える人々が増えていた。そういう事もあってか、いつの間にかカウンセラーの需要が伸び、全米各地の人材派遣会社は、これはチャンスとばかりに心理カウンセラーに必要な資格を取得する講座を次々と開くなど一種のバブル状態になっていた。かく言うわたしもその一人だ-とは言ってもわたしの専門は犯罪者だが。

  ***    

タクシーのカーラジオからは、いつものように内戦の状況を伝えるニュースが流れていた。わたしは、後部座席の背もたれに背中を乗せながら目を閉じた。こんな悲しいニュースが流れている風景が日常的な光景になってしまった事にわたしはうんざりしていた。わたしは、ため息をつくと、虚空に向けて指をかざした。すると彼女の目の前に四角いスクリーンが現れた。わたしは左上のファイルをタッチすると、今回のクライアントの情報を呼び出した。それのアイコンが開き、そこから写真やグラフなどの様々な情報が現れた。それらの一番上にある名前欄にはこう書いてあった。デニス・バンディ−その名前こそが今回のクライアントだった。

  ***

 

デニス・バンディは、今年の2月から4月までに別の病気で入院していた病院で、5人もの人間を次々と殺した。その中には自身の母親と主治医も含まれるという話だ。それだけでも恐ろしいとわかるのだが、彼のことで一番驚くべき事は、その年齢がわずか15歳という事だった。少年による犯罪。それだったら心の闇として片付けられた挙句に児童心理学専門に投げられるのだが、依頼者であるペンシルベニア州警察は、なぜかわたしに白羽の矢を立てたのだ。わたしは今までに大人の猟奇的なそれから少しまともなものまで色々な犯罪者のカウンセリングを担当してきたが、こんなに若い犯罪者は生まれて初めてだった。どうしてわたしなのかというと、それはバンディ少年の殺し方にあるようで、その手口は陰惨なものだった。まず被害者の首をチェーンできつく絞めて殺した後、その腹をナイフで裂き、そこから流れる血で遺体のそばにこう書くのだ−“Mr.PAiNwasHERE“と。”ミスター・ペイン参上“。自分の名前をわざわざ被害者の血で書くなんて、初めて現物の画像を見た時はなんて自意識過剰なやつなんだと思ったものだ。それはともかく、どっちにしろ人を何人も殺す事は許せない事だ。そんな彼は、元々入院していた病院の精神科セクションの閉鎖病棟に入院しているという。わたしは今そこに向かっているのだ。

 ***    

タクシーに揺られて数十分後。わたしはついに目的地に到着した。タクシーを降りると、惨劇の現場となった病院の入り口にスーツ姿の男が立っていた。彼はわたしの姿を見つけるとこう言った。

「ミス・ヴォーンですね……お待ちしておりました」

 わたしが軽く会釈をすると男は、ポケットから何かを取り出した。金色に光るそれは星型の警察バッジだった。

「あなたは……」  

わたしがそう言いかけると、彼はこう言って片手を差し出した。

「私、ペンシルベニア州警察警部のトニー・コールマンと言います……今回はわざわざ遠くからお越しいただきありがとうございます」

「わざわざどうも、コールマン警部」

 わたしはそう言って彼の手を握った。

 ***    

数分後。わたしはコールマン警部の案内で“ミスター・ペイン”ことバンディ少年が収容されている閉鎖病棟に向かう事にした。

「本当は事情聴取とかしたいのですが……このままだと危険な目にあうという事であの状態なんです」  

警部は、歩きながらそう言った。

「危険って……」  

わたしがそう言うと、彼はさらにこう続けた。

「今の犯人は……どちらかといえばいわゆる心神喪失状態−というよりは異常なんですよ」

「異常……どういう事ですか?」

 わたしがそう聞くと、警部は沈んだ面持ちでこう答えた。

閉鎖病棟に移ってしばらくした後、CT検査が行われたのですが……恐ろしいことに彼は脳のモジュールのうち、良心を司る領域が異様に小さくなっていたんですよ」

「……」  

わたしは絶句した。今まで受け持った犯罪者達のうち数人は、脳に問題があったり、そういう所に問題を抱えていたりする人はいるにいた。でもここまで極端な例は初めてだった。そんなわたしを前に、コールマン警部はさらに続けた。

「それでこれは先天的なものなのだろうかと、我々は病院内で彼に会った事がある人に話を聞きました……でもみんな答えは同じでした−いたって漫画が好きな普通の少年だった−と」

「……」  

わたしが何も言えずにいると、警部はこう言った。

「その理由を知ろうと、我々は根気よく調査を続けました……その結果、我々はとある資料にたどり着きました」

「それって……」

 わたしがそう言うと、彼はよくぞ聞いてくれましたとばかりにニヤッと笑いこう答えた。

「記録ですよ……病院の関係者に聞いた所、この目立ちたがりの絞殺魔くんはね……クリフマンという主治医だった医師から病気の治療のために−彼はリンパ腫を患っていたそうです−モルヒネの代わりに“痛覚マスキング”というものを処方されたらしくて……その際にクリフマン医師本人が付けていた経過観察記録を我々は入手しました」   重要な手がかりの存在に、わたしは生唾を飲み込んだ。

「それは……どこで読めるんです?」  

わたしはそう言った。

「元のデータは遺族の元にあるので今は限られた人しか見れませんが……今日のためにコピーしてきたものなら読めます……閉鎖病棟に到着次第お見せします」

  ***

 出発から10分。我々は精神科セクションに到着した。この病院の敷地は広く、精神科病棟は本館から少し離れた小高い丘にあった。わたしは中に入ると、小さな控え室のような所に通された。 「色々と準備が必要なので、少し待たせるかもしれません……なのでこれでも読んでお待ちください」  コールマン警部がそう言って渡したタブレットの画面にはこう書いてあった。  

経過観察報告>  

さらにその下にはこう名前が記されていた。  

<執筆者:ジョニー・“エンジェル”・クリフマン>  

これがお目当てのものだと感じたわたしは、椅子に腰掛けて読む事にした。

1.2018/12/6-20

 DATE:2018/12/20

  記録みたいなものを書くなんて、いつぶりだろうか。子供の頃、いや予備生時代の頃だろうか。あの時はそういうもの書くなんて面倒だから同じ階のシェパードに押し付けたっけ。普通だったらみんな嫌な顔して断るのに、あいつだけはいいよと涼しげな顔で返事するんだよな……おっと、前置きが長くなってしまった。さて、無駄話はこれくらいにしてこれをいつか読む人のために−まあ、どうせいないだろうが−この記録の目的を記しておこう。そもそもの始まりは、2週間前に遡る。3年前に軍隊上がりでこの病院に来て、様々な科を転々とした挙句に落ち着いたこの小児科で、ぼくはとある少年に出会った。彼の名前はデニス・バンディ。丸っこいどんぐり眼が素敵なこの少年の第一印象は、まるで何かにいつも怯えているような感じだった。デニスは、2年前から小児がんの一種であるリンパ腫で入院しており、日々放射線治療からくる痛みやだるさと戦っていた。彼が必死に痛みに耐えている様子を見ると心が苦しくなった。その思いは彼の母親であるアニーも同じようで、彼女は、愛する息子には痛みに苦しんでほしくない、だけどモルヒネは使ってほしくないとぼくにそう要望した。わたしは、どうしようか考えた。でもその間にも彼は痛みと死の恐怖と戦っている。だから早く痛みを取り除きたい。その思いで考えに考えた後、ついにぼくは思いついた。それは、軍隊で培った“痛覚マスキング”をがん治療に応用する事だった。

 ***

“痛覚マスキング”−それは、アメリカ軍の情報軍が生み出した画期的な技術だ。これを施された兵士は、まるで魔法にかかったように痛みがあるとわかってるのに、感覚としては痛みを感じなくなるというすごい代物だ。国防高等研究計画局によってもたらされたそれは、情報軍はもとより、陸軍、空軍、さらに海軍がその技術を譲ってほしいとそこにに要望を送らせた。そして導入から1年経った5年前、ついに陸海空全ての軍医および衛生兵達にその技術が伝授され、軍隊の医療に革命をもたらした。それを民間の医療に生かすとなると胸がワクワクした。これが成功すれば医学界の大いなる進歩になるだろうと考えたぼくは、早速行動を起こす事にした。まず最初にやった事は、マスキング用の薬剤の調達だった。この技術は元から言えば軍隊の機密条項の一つだ。決してこれを口外してはならないと配属当初に上司に耳にたこができるほど言われたものだ。でもぼくは厳しい箝口令をくぐり抜ける術を知っていた。

 ***    

深夜11時。家に帰ったぼくは、昔からの友人にコールした。

「あい」  

そう眠そうな声で答えたのは、昔の同僚のディムだった。彼はこの呼び名が示す通り、ひどくぼんやりした奴だ。昔は何もない所で派手にすっ転ぶわ、よく壁にぶつかるなど、やらかすたびに、みんな一斉にそいつを見たものだ。そんな奴だが、軍隊に入る前は、医大で脳外科系を学んでいたらしく、そこらへんの腕はピカイチだった。

「エンジェルはん、こんな夜中に電話なんて珍しいダスね」

 ディムは、きつい南部訛りであくびしながらそう言った。

「ディム、実は折り入って君にお願いしたい事があるんだ」

「へえ、なんダスか?」  

ぼくは少し深呼吸した後、こう言った。

「実は……痛覚マスキング用の薬剤をぼくの方に送ってほしいんだ」

「……」  

ぼくのその言葉の後、電話の向こうでは不自然なほどに重苦しい沈黙が横たわっていた。少し天使が2、3人程ぼくらの間を素通りした後、ディムが真っ先に口を開いた。

「エンジェルはん……あんた正気だか?」

「何が?」

 ぼくはそう言った。

「お前はんは、もう忘れただか……痛覚マスキングはお上様とオラ達との秘密だ……」  

ディムは、しっかりとした口調でそう言った。たとえノロノロとした奴でも仕事の規律はしっかり守る。そういう奴だ。

「ディム……これは医療界に置ける変革のチャンスなんだ」   ぼくは、彼に自分の考えを話した。

「うーん……」

 ディムは電話口の向こうで悩ましげに唸った。

「なあ、いいだろう……若い命のためだ」  

ぼくがそう言うと、彼は少し考え込んだ後にこう言った。

「わかった……お前はんは天使さまみてえに優しい奴だ……なんとか上官様にバレないように送ってみるだよ」

「ありがとう、ディム」

 ぼくはそうお礼を言ってコールを切った。

 ***

 それから1週間後。痛覚マスキング用の薬剤を手に入れたぼくは、その日の朝すぐにデニスにその事を話した。

「痛みが……なくなる?」  

ぼくからその事を聞いた彼は、元々まん丸なその目をさらに丸くした。 「なくなる……というよりは感覚として感じなくなると言った方が妥当だな」   ぼくがそう言うと、デニスは目をキラキラさせながらこう言った。

「本当……ですか」  

本当だよ、とぼくは言った。

「それなら……やらせてください……でも」  

彼は机から身を乗り出さんばかりの勢いでそう言った後、少しその表情を曇らせた。

「でも?」  

ぼくがそうおうむ返しすると、彼は不安そうな表情でこう言った。

「母さんに……これを言ったらなんて言うか」

 そんな彼に、ぼくは優しくこう言った。

「大丈夫、ぼくがなんとか言っといてあげるから」

 ぼくのその言葉を聞いたデニスの表情は、一気に和らいだ。

 ***    

それから三日後。母親同席の元、処置が行われた。ぼくはデニスの動脈にディムからもらった薬剤を注射した。薬剤とはいっても、いわゆる麻酔と同じようなものだから拒否反応とか心配するようなものは何もない。投与された後、少し目が虚ろになったデニスを見たミセス・バンディは、心配そうにこう言った。

「先生……本当に大丈夫でしょうか」

「大丈夫ですよ」  

ぼくはそう言いながら機材をしまった。

 ***    

翌日。ぼくはデニスに気分はどうだと話しかけた。

「少し……頭がぼーっとします」

「そうか……」  

ぼくはそう言うと、彼の頭に脳波モニタリング用の電極を取り付けた。

「デニス……ちょっといいか?」   ぼくはそう言うと、ポケットから小さな縫い針を取り出した。

「え……何するんですか?」  

そう目を丸くしているデニスの手の甲に、ぼくは手に持ったそれを少し突き刺した。

「……っ!」  

彼は、少し顔を強張らせた。

「どうだ、”痛い”か?」  

ぼくがそう聞くと、彼はこう答えた。

「はい……確かに“痛い”です……でも感覚として感じてはいません」  

実験は成功だった。この効果が持続できれば医療界に大革命が起こるだろう。

2. 2019/1/20-27

 DATE:2019/1/20

 あの実験から早くも1ヶ月が経とうとしている。ぼくはこの前、経過報告という形でデニスと面談を行った。

「どうだ、調子は」

 ぼくがそう言うと、彼はにっこり笑ってこう言った。

「順調です」  

何も変哲のない簡素な言葉だが、それの裏にはいかにも毎日をエンジョイしているとしている充実感が含まれていた。その証拠に、デニスは最近あんなに苦痛でしかなかった治療が楽しくなったと嬉しそうに語っていた。

「痛みを感覚を感じないから、むしろ治療が楽しくなってきたような気がします」 

 彼がこう言い切れるようになったのは、実験が成功した証拠だ。嬉しくなったぼくは、その日の夜に、サラ−ぼくの恋人だ−に電話でその事を伝えた。彼女にはこの実験の事を近しい人の中で唯一話していたのだ。ぼくが実験が成功したと言うと、彼女は良かったわねと自分の事のように喜んだ。そんなサラに、ぼくはこう言った。

「サラ……もしこれが学会に認められたら、君に聞いてほしい事があるんだ」

「え……何かしら?」  

彼女はそう言った。

「ふふ、何だと思う?」

「勿体ぶらないで早く教えてくれないかしら」

「……それはまだ教えられないな」

「えー、ケチねえ」  

こうしてぼくらの甘い夜は過ぎていった−ノロケ話になってしまって申し訳ない−。

 ---    

DATE:2019/1/27

  普通なら次の経過報告は、さらに1ヶ月後になるはずなのだが今回だけは別だ。デニスの調子は絶好調に思われた。だが先日、新たな問題が浮上した。それは思春期特有の多感な感性ゆえに生まれた問題だ。

 ***  

 話はこの前の面談後に遡る。その時デニスは、病室に向かって歩いていた。その時彼が何を考えていたかはわからないが、とりあえず前を見る余裕のなかったこの少年は、前方から歩いてきた松葉杖の5歳ぐらいの患者とぶつかって転んでしまった。

「……」

 痛みを知覚したデニスはゆっくりと起き上がった。そんな彼の目に飛び込んできたのは、痛いよと泣き叫ぶ相手の声だった。

「だ……大丈夫?」

 デニスはわんわん泣き喚いてる少年に駆け寄った。だが相手は泣いてばかりで何も答えてくれなかった。彼が為すすべをなくして立ち尽くしていると、少年の母親らしき人物がやってきた。彼女はデニスを一瞥した後、こう言った。

「坊や、痛かったでしょ」  母親のその言葉に少年は、うんとべそをかきながら答えた。

「あの……すみません」

 デニスがそう言うと、母親は大丈夫です、いいんですと言って息子と共に去っていった。その背中を見送りながら、彼は自分の手を見た。

「……」

 彼はそっと自分の手をつねってみた。痛みは感じなかった。それが彼に恐怖心を抱かせた。

  ***

「それで、デニスくんが引きこもったと?」

 ぼくがそう言うと、ミセス・バンディはこくんと頷いた。

「あの子……自分だけ痛みを感じない事に疎外感を抱いたんです」

「そうですか……自分と他人の大きな違いに気づくのは、思春期によくある事ですからね」

 ぼくはコーヒーを口にしながらそう言った。

「……」  

ぼくは、どうしたものかと考えた。そしてその末に、ぼくは名案を思いついた。

「そうだ……息子さんに、“感情調整”を試してみませんか?」

 ***

 “感情調整”−正式には“戦闘適応感情調整”は、その名が示す通り戦場に赴く兵士たちが与えられた任務をそつなく遂行できるようにする画期的なものだ。まずは、神経マスカーと薬物局所輸送による前頭葉局所マスキングを施す。さらにそれにカウンセリングさえすれば、これで敵に関して何も躊躇もないクールな兵士の出来上がりだ。ぼくはその日の夜すぐに、ディムにまたコールした。

 ***

「ひええ、次は“感情調整”ですかい」   ディムは電話口でそう驚きの声をあげた。

「うん、そうなんだよ……」

「また、あのデニスとか言う子に使うんか?」   彼の声には、若干呆れた感が混じっていた。

「ああ……」  

ぼくがそう言うと、向こうからため息をつく音が聞こえた。

「まったく……どこまでもデニスくんに優しいだすね」

「また……引き受けてくれるのかい?」   ぼくがそう言うと、ディムはもちろんだ、でも……と言った。

「でも……って?」   ぼくがそう言うと、彼はこう言った。

「エンジェルはんは、これでいいんだか?」

「は?」  

ぼくが呆けたような声を出すと、ディムはこう続けた。

「これは、相手にとって薬だけではなく、毒にもなるだよ……場合によっては相手を人間じゃなくなってしまう可能性があるだよ……これを使うには、その事も承知の上でやらにゃいかんよ……お前さんはそれができるだか?」  それに対してぼくはこう言った。

「ああ、もちろんだ」    

それを聞いた彼は、なら、お前さんに任そうと言った。

 ***

  1週間後。感情調整の処置が行われた。ぼくはデニスに前より少し強いやつをすると、伝えていた。薄暗い処置室で、モニタリングされた彼の脳を映し出したモニターが煌々と光っていた。ぼくはそれを見ながら、薬剤を注射した。モニターの光に照らされたデニスの顔は少し恍惚としているように思えた。

  ***    

数時間後、カウンセリングルームで若い女性のカウンセラーと、デニスは向かい合って座っていた。

「デニス……あなたは、痛覚がない事を恥ずかしいと思ってるの?」

 カウンセラーはまるで森のそよ風のような優しい声でそう言った。

「はい……」  

デニスは少し虚ろな目をしながらそう言った。それに対して彼女はこう答えた。

「あのね、デニス……これはあなただけの唯一無二の個性なの」

「唯一無二の個性だって……これは1ヶ月前にできたものですよ」   彼が目を剥いてそう言うと、カウンセラーはこう返した。

「先天性であろうが、後天性であろうが、立派な個性には変わりはないの……むしろかっこいいとみんな思ってくれるわ」

「……」

 デニスは、少し頬を赤らめていた。その目には少し光が戻ってきている。それにとどめをさすかのように、彼女はこう言った。

「デニス、また治療頑張れそうかしら?」  

それに対してデニスはこう言った。

「はい、頑張れます」

3. 2019/2/20-27

 

 DATE:2019/2/27

 感情調整から1ヶ月。先日、ぼくはデニスのカウンセリングに立ち会った。あの日以来、彼は元の明るさを取り戻し、治療の合間を縫って同じ病棟に入院している子供たちと遊んだり、または学校の友達と病室で絵を描いたりと充実した日々を過ごしていた。そんな中で、長年の粘り強い治療が功を征したのか、彼の病気はほぼ寛解まで近づいていた。カウンセラーがその事について触れると、彼は嬉しそうにこう言った。

「退院したら、学校に行きたいです……友達と会話したりとか……」  

その表情はとても生き生きしていた。だが一方、そんな彼とは裏腹に病院内では、このところギスギスした空気が流れていた。それは小児病棟で、ある凄惨な事件が起こっていたからだった。

 ***

 小児病棟に入院していた10歳のノーマ・ウェルズの死体が見つかったのは、カウンセリングが行われてから1週間後だった。ノーマは、小児病棟の子供達の中では常に中心にいる程の美少女で、入院前は雑誌モデルをしてたとか、ハリウッドで子役をしてたとか色々な噂が流れていた。そんな彼女は、車椅子の子供も入りやすいように広く作られたトイレの中で仰向けに倒れていた。それだけ聞くと、トイレの中で足を滑らせて転んだのだろうと誰もが思う事だろう。だが今回は事情が違かった。なんとノーマは、発見された当時腹を十字に切り裂かれており、その傍らには”Mr.PAiNwasHERE”と書かれた血文字があった。最初は刺殺だろうと思われていたが、後に行われた検死によると、直接の死因は絞殺らしく、首元には鎖のようなもので絞められたような痕が残っていた。わざわざ自分の名前を現場に残すなんて自意識過剰にも程もある。病院関係者たちは、口々にそう言った。犯人は病院関係者の中にいるに違いないと睨んだ警察は、ただちに我々小児科の関係者に事情聴取を行なった。ぼくはもちろん知らなかった。だから知らないと答えた。この手の事件は本当に不安になるから早く解決してほしい。

4.2019/3/20-27

 DATE:2019/3/25

 あれから1ヶ月経つが、残念ながら新たなる犠牲者が現れてしまった。今回の犠牲者は、同じく小児科の研修医であるエド・カレンだ。エドは、廊下の壁にもたれかかるようにして死んでいる形で同僚に発見され、案の定鎖で首を絞められた上に腹を割かれていた。その側には件の文字があった。新たなる惨劇の勃発に、我々病院の関係者の間には緊張が走った。そんな日々の中、1ヶ月ぶりのカウンセリングをした。デニスはこれまでよりも生き生きしているように見えた。小児科病棟全体が悲しみや恐怖に包まれる中、いかにも毎日充実してるように見える様は、奇妙だ。

「デニス、最近変わったことはないか?」

 ぼくはいつものようにそう質問した。すると彼はいつも通りに答えた。

「ないですね」   その様子を見たぼくは一応安堵のため息をついた。そして、ぼくはさらにこう聞いた。

「デニス……カレン先生が殺された事は聞いているか?」  

それに関する彼の答えはこうだった。

「ええ、知ってます」

「それについてどう思ってる?」  

ぼくがそう言う聞くと、彼はこう言った。

「そうですね……カレン先生には結構お世話になったので、結構寂しいし、何もできなくて悔しいですね」

「そうか……」  

ぼくはそう言ってデニスの顔を見た。    

***  

 普通なら記録はここで終わるのだが、今回はさらに書いておきたい事があるから少し長くなりそうだ。読者の諸君にはもうちょっと付き合ってもらおう。ぼくはカウンセリングの後、小児病棟の看護婦であるエマ・ジョーンズに声をかけられた。彼女はぼくにこう言った。

「クリフマン先生……最近デニスくんがおかしいんですよ」

「え、どうおかしいんだい……すごい元気そうに見えたんだけど」

「この前部屋に行ったら、彼は絵を描いていて……それで何描いてるのかしらと横から見たら、黒いパーカーを着た恐ろしい形相の男がチェーンを持って笑ってる絵だったんですよ……あまりにも今起きてる事件を思い出させる絵で……」

 エマの声は泣きそうだった。その調子のまま、彼女はさらに続けた。

「怖くなった私はデニスに何描いてるのと聞きました……すると、彼はこれは自分が考えた漫画の主人公で、“ミスター・ペイン”って言うんですと答えました……さらに彼はこの人物がチェーンを武器に戦う設定だと教えてくれたんですけど……どう見ても事件の影響を受けたに決まってる絵を嬉々として見せてくるもんだから……怖くなって」

 殺人犯と同じ名を持つヒーロー。ぼくは恐怖で動けなかった。そのせいか夜にこんな夢を見た。気がつくと自分は夜の病院の廊下を歩いていて、早く出ようと歩を進めると、背後から足音が聞こえてきた。怖くなったぼくは全力で逃げ出した。しかし足音は小さくなるどころかだんだん大きくなった。夜中の追いかけっこの末、ぼくはやっと病院の入り口に到着した。ぼくはドアを開けようとするが鍵がかかっていて全然開かなかった。どうしよう。そうパニックになっていると、首筋に金属の冷たさを感じた。もしかしてと思って振り向くと、パーカーを目深にかぶった男がチェーンで首を絞めようとしていた。死の恐怖の中で、一瞬見えた顔はデニスと瓜二つだった。

「デニス……!」

 そう叫ぼうとした時、ぼくは汗だくで目覚めた。時計を見ると、まだ夜の1時だった。夢かと思い再び目を閉じたが、なかなか寝付けなかった。もう寝るのを諦めたぼくは、ある人物にコールした。

 ***

「はい……」

 眠そうな声でそう答えたのは恋人のサラだった。

「どうしたの……こんな夜中に」

「サラ……」  

ぼくはエマの話と先程の夢を彼女に話した。

「まったく……不謹慎にもほどがあるわね、あの患者」   彼女は電話の向こうでそう憤慨した。

「ぼく、怖いんだ……もしかしてミスター・ペインの正体がデニスかもしれないと思うと」   サラは少し沈黙した後、こう言った。

「バカね……そんな夢くらいで、彼が犯人だと確定したわけじゃないわ……」

 彼女はさらにこうまくし立てた。

「私、明日夜勤だからそのついでにそいつの正体バラしてやるわ」

「本当に大丈夫かい……」  

ぼくが心配そうにそう言うと、サラは自信満々に大丈夫よと言った。こうなったら信じるしかない。ぼくはそう思うことにした。とりあえず彼女の無事を祈る事にしよう。

 ---

 DATE:2019/3/27

 今回は私的な事だ。あの日、あいつの化けの皮を剥いでやると意気揚々と夜勤へと向かって行った勇敢なぼくの恋人サラ・キャメロンだが、残念な事に彼女もまたミスター・ペインの餌食になってしまった。

 ***

 サラが亡骸として見つかったのは、本来なら昼間の連中とすでに交代してるはずの時間だった。発見者によると彼女は、ナース・ステーションのカウンターにもたれかかる形で息絶えていたという。残念ながらぼくはその場に立ちあえず、サラと悲しい再会を果たしたのは夜の遺体安置所だった。

 ***

 異様に清潔で静かな空間な中で、ぼくは冷たくなった彼女と対面した。担当者が遺体にかけられた布を剥がすと、虚空に向かって見開かれた彼女の青い目と目があった。ごめんね、私死んじゃった−まるでそう言いたげな目だった。ぼくは恐る恐るサラのその体に触った。それはまるで氷のように冷たくて、石のように硬かった。ぼくはかつて感じた温もりを求めるかのように、彼女のうなじや肩、緩やかなウエストや顔に次々と触れた。でも温もりなんて見つからなかった。

「ごめん……」

 気づけばそんな言葉が口から漏れていた。もう彼女はこの世にいない。そう実感すると涙がとめどなく溢れてきた。そしてそれと同時に、その命を奪ったミスター・ペインへの怒りが溢れてきた。おのれ、あの悪魔め。ぼくは拳を握りながらそう呟いた。

5.2019/4/20-27

 DATE:2019/3/20

 もう1ヶ月間、デニスと顔を合わせていない。彼の顔を見るとサラの事を思い出すからだ。そんな中で、今日久々に彼とカウンセリングをした。デニスはこの1週間後に退院を控えており、これが最後のカウンセリングだった。ぼくは、彼と極力目を合わせないようにしながらこう聞いた。 「デニス、君って最近怖い夢を見る事があるかい?」  これに対し、デニスは微笑みを浮かべながらこう答えた。

「ないですよ……」   ぼくは恐怖を感じた。一見すると何の変哲のない無邪気な笑顔なのに、まるでその裏に底知れぬ闇を含んでいるか、あるいはその背後から黒い何かが這い出てきそうなそんな感じだった。気が動転したぼくは椅子から転げ落ちた。

「大丈夫ですか、クリフマン先生」   同席していたカウンセラーのその言葉を聴きながらぼくの意識は奈落の底に落ちて行った。

 ***

「い……クリフマン先生」

 その声で目覚めたのは倒れてから数分後だった。慌てて飛び起きると、カウンセラーとデニスとミセス・バンディがぼくを心配そうに見つめていた。

「……っ」  

こちらをじーっと見つめるあのどんぐり眼を見たぼくは、思わずその場で吐いてしまった。

「エンジェル先生、大丈夫ですか?」

 やめろ、ぼくを見るな、話しかけるな。恐怖と吐き気に苛まれたぼくは、もう今日は早く休みなさい、と言われ結局その日はそのまま帰った。

 DATE:2019/4/27

 きっと今書いてるこれが最後の記録になるだろう。まずは今日まで起きた事を書いておこうと思う。

 ***

 きっと恋人を亡くしたストレスでしょう。心療内科ヒルダ・ウォーレン先生はそう言った。カウンセリングの次の日、普通に出勤したぼくは、同僚の勧めで心療内科の名医に相談する事にした。その名医こそがこのウォーレン先生だ。白髪が混じったきちんとしたショートヘアが上品な初老の女医は、ぼくの言い分が書かれた電子カルテを見ながらこう言った。

「自分の患者が恋人を殺した犯人に酷似した絵を書いてるからって、顔を見ただけで錯乱状態を起こすなんて相当なショックを受けてるみたいですね」

「……」

 ぼくは極めて冷静に振る舞ったが、心の中では腹わたが煮えくりかえりそうな怒りが渦巻いていた。うるせえよ、お前に何がわかるんだ。この形容しがたい怒りを。そんな大人気ない苛立ちをぼくは抱えていたのだ。結局この日は精神安定剤をもらうだけで終わった。

  ***

 それからの数日感は、出来るだけデニスに会わないようにし、ほとんどの時間を論文作成に費やした。無心でディスプレイに向かっていると、あのどす黒い感情を忘れられるからだ。そんな日々を過ごしてるうちに今に至るわけだ。今は夜の11時。この記録を書き終えたら1ヶ月後に行われる学会に送る論文の最終確認を行い、それが終わったら帰る予定だ。これを読んでいる読者諸君はどうか、ぼくが元気で学会の演題で誇らしげな笑みを浮かべている事を祈っていてほしい。

 ----

 わたしはため息を吐いた。まさか主治医が良かれと思って患者に処置を施した結果、まさかこうなるなんて。やれやれと思いながらふとタブレットに目を落とすと、全ての記録のすぐ下に新たなリンクが貼ってあった。拡張子から見るに、映像データのようだった。これに事件につながる全てが詰まっている。そう思ったわたしはそれを開いた。

 ***

 まず映し出されたのは、タブレットのキーボードを叩いている手元だった。それはしばらくカタカタと作業した後、意を決したかのようにそれを閉じ、立ち上がった。それに伴うようにカメラの目線がさらに高くなった。どうやらこれはクリフマン医師の副現実が記録していた映像らしい。立ち上がった彼は荷物をまとめた後、カバンから何か袋のようなものを取り出した。中を開くと錠剤のようなものが入っていた。これが先ほどの記録に書いてあった精神安定剤なのだろう。クリフマン医師はそれを2、3粒程飲むと荷物を持って外へ出た。

 ***

 重い引き戸を開けて外へ出た彼は、暗い廊下を一人進んでいた。コツ、コツ、コツ。辺りは静かで、規則正しい靴音だけがこだましていた。コツ、コツ、コツ……まるで心臓の鼓動のようにそれがしばらく続いた後、画面を支配していた静寂は急に聞こえてきた女性の悲鳴によって破られてしまった。それを聞いたクリフマン医師は急いでその主の元へ向かった。

 ***

 悲鳴が聞こえてきた方向に行くと、彼はある病室にたどり着いた。その目に飛び込んできた名前を見て、クリフマン医師は固まった。引き戸の横に付けられたプラスチックの名札には、こう書かれていた。  “デニス・バンディ”  もしかして。そう思った彼は震える手で引き戸を開けた。

「……!!」    その向こうに広がっていたのは、信じたくない光景だった。   ***

 引き戸を開けた先に見えたのは、黒いパーカーを着た小柄な男が、女性の首をチェーンで絞めている光景だった。絞められている女性の顔を見た彼は思わず声をあげた。

「ミセス・バンディ……!」   ミセス・バンディは、荒い息をしながら横目で息子の命の恩人を見た。彼女は必死に口を動かした。おそらく助けを求めているのだろう。

「今から助けに行きます」

 クリフマン医師は勇気を振り絞って恋人の仇に体当たりした。そして逃げようとする相手を羽交い締めにした後、被っていたフードを剥ぎ取った。

「……っ」

 顔を隠していたそれが取れた瞬間、彼は息を飲んだ。

「嘘だろう……」  

ミスター・ペイン。このボルツマン記念病院を恐怖に陥れた上に、愛する女性の命を奪った最悪な男。その正体は、クリフマン医師にとって非常に信じがたいものだった。黒いフードの向こうに隠されていた顔は、一番見知った顔だった。寛解期に入り、ようやく生え揃った短い髪。そして会うたびに自分を見つめていたあの特徴的などんぐり眼。その人物はまるで鼻歌でも歌うような調子でこう言った。

「こんばんは、エンジェル先生」  

クリフマン医師は、唸るように相手の名を呼んだ。

「デニス……」

 ミスター・ペイン−デニス・バンディはにっこり微笑んだ。

 ***

「デニス……なんでお母さんを殺したんだ?」

 クリフマン医師は震え声でこう言った。 「痛みを知りたいからだよ……エンジェル先生」    デニスは、さも当たり前のようにこう答えた。 「お母さんだけじゃない……お前はエマや、カレン先生、そしてサラを殺した……これも全て痛みを知るためなのか……?」     彼はさらにそう聞いた。

「うん……僕は痛覚マスキングや感情調整をしてから、人間にとって一番の痛みというのはどんなものなのかというのに興味を持ったんだ」  

そう語るデニスの表情はどこか狂気的だった。彼はさらに続けた。 「僕は、母さんやいつも来る友達に痛みについて聞いて回った……でも 答えは出産の痛みや食べ過ぎた時のお腹の痛みとかありきたりなものばかりだった……それで僕は真実の痛みを求めた……普通のものではなく、もっと根源的なものをね」

「そうしてたどり着いたのが殺人か……」

 そう言ったのはクリフマン医師だ。

「そう」

 彼はさらに続けた。

「僕がやっとたどり着いたのは、罪を犯した時に感じる心の痛み……最初エマを殺した時、僕の目から涙が溢れてきたんだ……その時これが痛みなんだと感じた」  

 そう恍惚とした表情で語るデニスの姿は、もう狂人そのものだった。

「デニス……お前は人間じゃない……ただの化け物だ」   クリフマン医師がそう言うと、彼は自らの顔を指差しながらこう言った。

「僕がこうなったのは、先生のおかげなんだよ……」   デニスは、彼の胸に顔を埋めながらこう言った。

「ねえ……先生」

 彼は耳元でねっとりと囁く。

「先生の痛み、僕に頂戴……?」

「……」

 クリフマン医師は、恐怖のあまり後ずさりをした。

「あれ、おかしいな……先生なら僕の事を理解してくれるはずなのに……」   デニスは首を傾げながら近づいた。 「やめろ……来ないでくれ」

 彼はそう言いながら全力で駆け出した。

「ふふふ……待ってよ」  

デニスは、そう笑いながら後を追った。  

 ***

 クリフマンは荒い息を吐きながら病棟の端まで逃げた。もうここなら追いつけないだろう。そう思った彼はゆっくりと腰を落ち着けた。

「……」

 クリフマン医師は、ひどく後悔した。あの時、痛覚マスキングの使用を思いつかなければ。感情調整さえ思いつかなければ。いや、この病院でデニス・バンディという少年と出会わなければ。もうどんなに後悔しても遅かった。もう、ミセス・バンディやサラは戻って来ないのだ。ごめん、サラ。ぼくが君の命を奪った怪物を生み出してしまった。あとディムにも悪い事をしてしまった。もしバレたら軍法会議行きだ。全てぼくが悪いんだ。ああ、どうしてぼくはバカな事をしたんだ。哀れな患者の救済。そして医療界の発展。全ては世界をもっとよくするためにしたのに、どうしてこんな結果になってしまったんだ。どうして、どうして、どうして……彼はそうひどく自分を責め続けた。

  ***

  脳の襞から溢れ出す後悔の念は全身を包み込んだ末に、やがてそれは殺して欲しいという願望にへと変わっていった。ああ、できれば今すぐにでも死んでしまいたい。どこかに手頃な刃物はないだろうか。いや、紐でもいいな。そんな事を彼は寝転びながら思っていた。

 ***

 ヒタ、ヒタ、ヒタ。その足音を耳にした時、クリフマン医師は待ち望んだように起き上がった。足音は、少し大きくなった後、彼の近くで止まった。

「エンジェル先生……」   声に気づいた彼がゆっくり振り向くと、チェーンを持ったデニスが立っていた。

「デニス……」   今まで見るたびに吐き気や怒りを彼に催させていたその顔は今では神に等しかった。

「先生……苦痛を僕に教えて……?」   デニスの静かなその言葉に、クリフマン医師はこう微笑んだ。

「ああ……」

 これを最後にオルタナの映像は乱れた後、そのまま暗転した。

 ***

 これが、一連の事件の全てだった。クリフマン医師は、あくまでもバンディを救おうとした。でも、それはわたしは、タブレットの画面をオフにしながらため息をついた。わたしがもしバンディ少年の母親の立場だったら、簡単に承諾できるだろうか。そう考えているとコールマン警部が入ってきて、準備ができた事を告げた。

 ***

「クリフマン医師の記録、読みました」

 廊下を歩きながらわたしはそう言った。

「そうですか……」   コールマン警部は、わたしより少し先を歩きながらそう言った。

「クリフマン医師は、最期に自分が作った怪物に殺される事で自分の罪を償おうとしたんだと思います」

 わたしがそう言うと、彼はこう言った。

「そうだね……本人にとっては、きっとこれが一番妥当なけりの付け方だったと思うよ……でも」

「でも?」

 わたしがそうおうむ返しすると、コールマン警部はさらに続けた。

「問題はまだ山積みだ……これをバンディくんはどう思ってるか……それをこれからのカウンセリングで吐き出させなければならない」

「……」  

わたしは病室にいるバンディ少年の姿を思い浮かべた。苦痛を教えてくれる人物を一切失った彼は、今どうしてるのか……自分のした事の重大さに気づき部屋で一人、悔いているのか、それとも未だに苦痛を求めているのか–と。そう考えているうちに我々は部屋についた。

 ***

 部屋のドアを開けると、警部をしている若い巡査がこちらに向かって敬礼した。わたしは彼にご苦労と声をかけるコールマン警部に続いて入室した。部屋はさっきまでいた控え室より広めで、向かって正面の壁がガラス張りになっていた。どうやらあの壁越しにデニスと話すらしい。

「クライアントはもう少ししたら来ますので、少々お待ちください」

 そう若い警官に言われるがまま、少し待っているとガラス越しの部屋のドアが開いた。

 ***

 ようやく対面できたデニス・バンディは、車椅子に乗せられてやってきた。彼は、介護者に押されながら狂ったように笑っていた。

「ふふふ……くくく……」

 その手元をよく見るとおびただしい数の傷跡があり、彼はカミソリでまた新たな傷を刻んでいた。どうやら彼は、痛みだけではなく自意識までマスキングされてしまったみたいだった。介護者によってようやく正面の椅子に座らされたデニスは、傷つける手を止めず、わたしを見た。クリフマン医師が素敵と評したあの目で。

「あなたがデニス・バンディね」

「……」

 彼は、不思議そうな目でわたしを見ながら首を傾げた。わたしはかまわずこう聞いた。デニスに一番聴きたかった事を。

「デニス……いきなりだけどあなたは、自分のご両親や命の恩人を殺し てしまった事をどう感じてるの?」   すると、彼は虚空を少し見つめた後、こう言った。

「デニスは、少しもそんな事感じてないと思う」   その答え方は、まるで他人の事を言っているようだった。

「そう……じゃあ、そういうあなたはどう思ってるのかしら?」   わたしはそう言った。

「僕は……わからない……」

 彼はそう言った後、またくすくすと笑い始めた。

(完)