軍事OS。二〇二〇年代末に登場したそれは、瞬く間に世界各地の軍隊に浸透し、二〇三〇年代半ばになる頃には、各軍隊につき一つはあるというほどに普及した。数あるその中でもアメリカ軍が保有している”イーグルサム"はAIが収集した情報を元に作戦を立案したりするなど、高性能を誇っていた。
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マックス・スティーブン准士官にとって、"イーグルサム"は自分の誇り以外の何者でもなかった。自分が"イーグルサム”の開発に関われたことを孫の世代になっても、自慢できる。彼はよくそう豪語していた。少なくとも、あの事件までは。
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昼下がり。スティーブンは自分の席で、ゆったりとコーヒーを飲んでいた。ドリップコーヒーの香りを楽しみながら一息つく。穏やかな時間の中、突如彼のそばにある電話がけたたましくなりだした。珍しいな。真っ先にスティーブンはそう思った。普段は専用のメッセージアプリでやりとりするからだ。彼は不思議に思いながら受話器をとる。
「もしもし」
声の主は軍ご自慢のロボット部隊の隊員のジム・エバンスだ。彼とは、一回ロボット用のOSの説明で顔を合わせているのだ。
「どうした」
「大変です。索敵ができなくなりました」
スティーブンは目を見開いた。
「はぁ?」
思わず口をついて出てきたのはその言葉だった。イーグルサム対応のアプリケーションは、AIがバグを見つけて自動アップデートされる。そのはずだった。驚く彼を尻目に、エバンスは更に続ける。
「今日は模擬戦だったので普通に起動したら、突然画面が暗くなったんです」
「昨日の時点では、異常はなかったか?」
「いいえ、普通でした」
「……」 スティーブンは頭を抱えた。相手の心情を察したのか、エバンスはこう付け加えた。 「壊れるような操作はやってません。ただ索敵機能にアクセスしただけです」
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電話を切った後、スティーブンは状況を探るために、パソコンを立ち上げた。とりあえず正常に起動しろよ。彼は必死に祈ったが、奇跡は起こらなかった。起動してすぐ、画面にノイズが走り、そのまま暗くなった。そして数秒のブランクを経て、白画面になった。その中心には"キルロイ参上”の落書きが鎮座している。
「なんだこれは……」
スティーブンの声は震えていた。これが、"イーグルサム"およびそれを作った自分への冒涜のように見えたから。しかし、彼には怒りをぶつけている暇はなかった。今度は、若い制服姿の男が駆け足気味にやってきたのだ。
「先輩、大変です」
息を切らしながら入ってきたのは、スティーブンの後輩にして同じく准士官であるトミー・パウエルだ。
「なんだ?」
「基地内のすべてのコンピュータが動かなくなりました」
「画面になんか書いてなかったか?」 その声は驚くほどに冷静だった。
「ええと、確かキルロイ参上と」
スティーブンはため息をついた。
「どうやら、これわたしだけの問題じゃないみたいだな」
「え、もしかして先輩も……」
パウエルがそう言った次の瞬間、勢いよく部屋の扉が開いた。
そう言って入ってきたのは、ひげを蓄えた制服姿のでっぷりとした男だった。
「これはグローバー大佐。どうされました」
グローバー大佐と呼ばれた男は、ハゲかかった頭をかきながらこう言った。
「いやあ、我が基地内のコンピュータが動かないんだ」
「やっぱり……」
スティーブンはため息をついた。
数分後。スティーブンは、スキャンソフトを使って解析を試みた。
「これは、コンピュータウィルスの仕業ですね」
「コンピュータウイルス?」
グローバー大佐は身を乗り出した。そうです、と彼は答える。
「OSに感染するタイプは、メールに添付されたデータに偽装されて送られてくるんです」
「ふむ」
「で、今回も誰かさんがうっかり開いてしまったことによって侵入し、さらにクラウドを通じて周りに蔓延してしまったわけです」
「そうか。で、治るのか」
「治りませんよ。この状態じゃ、新品に買い替えなきゃいけません」
「そんな……イーグルサムがなければ何もできん」
彼は頭を抱えながらそう唸った。
「これじゃあ、我々もどうにもできませんよ」
スティーブンは悔しそうに顔をしかめる。
「くそっ、どこかの大馬鹿のせいで全てが台無しだ」
グローバー大佐は、そう激しく嘆いた。
その頃。少し離れた基地を望める丘の上に、その人は立っていた。今回基地を騒がせたウィルス事件の犯人。その正体は、スティーブンにパソコンの異常をいち早く伝えてきたパウエルだった。
「ふふ……」
パウエルは、今頃は大パニックに陥っているであろう基地を眺めながらニヤニヤしていた。彼は、自分の個人端末から軍用連絡アドレスにウィルス付きメールを送り、更にそれを開くことにより、感染させた。スティーブンの見立て通り、それはクラウドを通じて全てのコンピュータに感染した。で、犯人探しが始まる前にこうやって逃げてきたわけだ。パウエルはスティーブンやグローバー大佐が自分たちの責任をなすりつけているところを思い浮かべては、くすくすと笑った。
「ふっ、面白え」
彼はそう呟くと、暮なずむ基地に背を向けた。